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最高裁判所第三小法廷 昭和53年(オ)476号 判決 1978年8月29日

上告人(被告)

宮城交通株式会社

被上告人(原告)

腰沢勝子

ほか五名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人三島保、同三島卓郎の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができないものではなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであつて、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 服部高顯 天野武一 江里口清雄 高辻正己 環昌一)

上告理由

上告代理人三島保、同三島卓郎の上告理由

第一点 原判決の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな採証法則の違反があり、理由不備の違法がある。即ち、原判決は『原審および当審(第一、二回)証人遠藤伊勢治郎は、「被控訴バスを運転して本件事故現場附近にさしかかり、進路の前方に一列になつて停車していた四台のダンプカーの右側を通過してその前方に出ようとし、反対の方向から進行してきた二台の車の通過するのを待つたうえ、道路の右側部分に出て、一番手前に停車していたダンプカーとならんだとき、前方約二〇〇メートルの坂の上から対向してくる亡腰沢明のライトバンを発見したので停車したが、右ライトバンがスピードをおとさず前方約一一七メートルの地点まできたのでクラクシヨンを鳴らした。」旨の供述をしているけれども、前記甲第一一号証の一ないし一三、第一二号証の一ないし一五によれば、右遠藤運転手は、昭和四五年七月一五日の塩釜警察署の警察官の実況見分においては、前方約五〇・九メートルの地点で最初に右ライトバンを発見したことを指示し、同年一二月一日の宮城県警察本部の警察官の実況見分においては前方約八四・五メートルの地点で最初に右ライトバンを発見したことを指示していることが認められ(証人遠藤伊勢治郎(当審第二回)は、昭和四五年七月一五日付の実況見分調書は警察官が、最初に発見したときの相手車の位置とクラクシヨンを鳴らしたときの相手車の位置との指示をとり違えて記載したものと思われ、後に、塩釜署で、同日付の実況見分調書に記載されているような指示と同一内容の調書に押印を求められたため、異議を申し立てたが、受けいれられず、不本意ながらこれに押印をした旨の供述をしているけれども、にわかに信用することができない。)亡腰沢明が進行してきた坂の上の左坂停留所から本件事故現場附近までの約二〇〇メートルは、ほぼ一直線になつている下り坂の見通しのよい道路であることに照らしてみると、右遠藤伊勢治郎の供述はたやすく信用することができない。同様に、当時被控訴バスに乗車していた原審および当審証人佐藤勝子、原審証人加藤利一、当審証人及川実ならびに当時被控訴バスの車掌をしていた原審証人熊谷育郎の、右遠藤伊勢治郎の供述に符合する、被控訴バスが道路の右側部分に出たとき、前方約二〇〇メートルの坂の上から亡腰沢明のライトバンが対向してくるのを認めた旨の証言もまた、たやすく採用することができない。ほかには、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。」と判示している。

しかし、本件における証人中、本件事故発生時、亡腰沢明運転のライトバンに同乗していたのは第一審証人長沢忍、同渡辺勉の両人であり、本件バスを運転していたのは第一審(第一、二回)および原審における証人遠藤伊勢治郎であり、本件バスの車掌は、第一審証人熊谷育郎であり、本件事故発生時に、本件バスに同乗していたのは第一審証人加藤利一、第一審および原審証人佐藤勝子、原審証人及川実である。これらの証人のうち、長沢忍は<1>「腰沢はあの時点でブレーキをかけたことはかけた」<2>「バスはぶつかる瞬間いくらか進んでいる状態じやないか」<3>「うちの方でも(ライトバン)もちろんバスの方でも警笛を鳴らしたのは聞えなかつた」<4>「おれバス発見したのが、下り坂から下つて来た時ひよつとバスのこつち側見えたわけである」<5>「左坂の頂上にある店屋からしばらく下つた反対側にある建物の辺で(本件バス)見つけた」と証言している。第一審証人渡辺勉は<6>「腰沢明のライトバンとバスが衝突したのは石巻に向つて一番後のダンプの所である」<7>「私はライトバンの助手席にいた」<8>「バスを発見したのは衝突する直前である、それまでは何の気なしに前方を見ていた」<9>「衝突前私の自動車はブレーキをかけた」<10>「(私の方のライトバン)は警笛をならさなかつた、バスの方のも聞えなかつた」<11>「私は衝突する直前五メートルぐらい前にバスがいるということがわかつた、それ以前はバスがいるということはわからなかつた」という趣旨の証言をしている。被上告人の申請にかかる第一、二審の証人のうち、本件事故発生直前から事故発生時までの状況について言及している証人は、この長沢忍、同渡辺勉の両名のみである。これらの証人らの証言によつても本件ライトバンを運転していた亡腰沢明が衝突のあつた本件道路上のどの地点において、本件バスが本件道路上にあるのを発見したか、その発見後、本件ライトバンを急停車せしめるため、どの地点で急停車の措置をとつたかを知ることはできない。ただ同人らは亡腰沢明が本件衝突直前にブレーキを踏んだと証言しているが、第一審証人小幡春之進の<12>「現場には完全なスリツプ痕はなかつた」という趣旨の証言ならびに「ライトバンがバスに衝突した後現場にはライトバンのスリツプ痕は全然なかつた」という趣旨の第一審証人熊谷育郎の証言および本件道路上には本件ライトバンのスリツプ痕のあつたことを明らかにすることができる証拠が全くないこと等に徴するときは亡腰沢明が衝突直前にブレーキを踏んだことを認めることはできない。したがつて第一審および原審における被上告人らの全立証をもつてしても亡腰沢明がその運転する本件ライトバンが本件事故発生現場から二〇〇メートル前後手前にさしかかつてから本件事故が発生するまでの間に本件バスとの衝突を避けるために必要な措置を全くとらなかつたものということができるのである。また第一審証人長沢忍は前記<5>のような趣旨の証言をしているが、かかる証言をしているのにかかわらず前記<4>のように「おれ、バスを発見したのが下り坂から下つて来た時ひよつとバスのこつち側見えたわけである」と証言しているのである。ひよつと見たときバスのこつち側が見えたという「こつち側」はバスの正面をさすものではなく、バスの左右の何れかの側をいうものと思われる。しかも亡腰沢明の運転していたライトバンはバスに向つて右角に衝突したのであるから長沢忍のいう「こつち側」というのはバスに向つて右側であると解するほかない。もし然りとするならば、長沢忍は同ライトバンが本件バスに衝突する直前に本件バスが同ライトバンの進行道路上に存在することに気付いたものといわねばならない。また第一審証人渡辺勉も前記<7><8>の如く同ライトバンの助手席に同ライトバンを運転していた亡腰沢明とならんで乗車していたのにかかわらずバスを発見したのは本件バスとライトバンが衝突する直前でそれまでは何の気なしに前方を見ていたと証言しているのである。同人らのこれらの証言によるときは同人らは結局本件バスとライトバンが衝突する直前まで本件道路上に本件バスが停車または徐行しているのを認めなかつたということを明らかにすることができるのみで、亡腰沢明がどの地点まで来たときに本件バスを認め、衝突をさけるためどのような措置をとつたかを明らかにすることはできないのである。

然るに第一審証人加藤利一は<13>「バスは(事故のあつた道路に差しかかつた際)一時停車した後右へ出たところ対向車二台が来たのでそれを通過させた後、前に出た瞬間に峠を見たら一台の車が(その峠にある)店屋付近に見えた、(バスとその車の間には)相当距離があるので止まるんじやないかと判断していたが、その車とバスの中間にある家のあたりで、若干左に曲り、大分スピードつけてバスとトラツクの間、目掛けて来た、それはバスがいくらか進んでからと記憶している。(バスの)運転手はクラクシヨンを鳴らした」<14>「運転手は峠に車が見えたとき一たん(バスを)止めた」<15>「相手の車(ライトバンは)全然ブレーキをかけないのでたまげた」などと証言している。第一審証人佐藤勝子は<16>「バスは(事故現場付近に到達したとき)一番うしろのダンプカーからその一番先が五メーター位はなれたところに一たん止まり、バスが前方の右角がほぼセンターラインにかかる付近で一たん止つて対向車を通過させ、バスは走り出して、また止まつた。そのとき対町車が(峠の)店屋のちよつと向うに行つたところと思うが、そこを走つてくるのが見えた、そして走つてきて止まつているバスに衝突したのである。バスが止まつた位置は最後のダンプカーと同じ位か少し過ぎたか位のところである。ライトバンのスピードは大分出ていたがブレーキをかけるんじやないかと思つていたのに全然ブレーキをかけなかつた(バスの)運転手も私もそのとき後をふりかえつた。しかし車が後にいてバスは後ずさりはできないように思つた」第一審証人熊谷育郎は<17>「事故の起つたちよつと手前まで行つた時、道路の左側に大きなトラツクが四台止まつていた。松島の方から数えて四両目の後でバスは一時停車したが二台の乗用車が対向してきたので、これをやり過ごしてから対向車線に出てまた止まつて対向車のきていないことを確認して石巻に一番近い方のダンプの脇を通つて、そのダンプとやや平行位に進んで前を向いていたら坂の方から車が来るのが見えた。その車は当然止まつてくれるものと思つて、こちら(バス)も止まつた。(対向車)車は(坂の上の)茶店よりも、もう少し仙台方面に寄つた所に見えた、車はそのまま進んできた。そのとき後見たらバスがそれまでいた所にはトラツクが着いていて逆行はできなかつた。しかしその対向車はスピードをゆるめず進んで来るので(バスの運転手は)その位置が左側の新しく作られた家の辺りまできたときにクラクシヨンを鳴らしたが、対向車は、そのままのスピードで来てバスにぶつかつたのである」という趣旨の証言をしている。原審証人佐藤勝子は原審においても<18>「バスは本件事故現場付近で石巻に向つて行く二台の対向車が通過して行くまで本件衝突地点の一寸手前で待つていた、それからバスは静かに右の方に出て行つたが白いライトバンは来ていなかつた、バスは一番後のトラツクとバスが並んだあたりで坂の上の店の近くあたりを通過して来る対向車の白いライトバンが速度を落さず進行して来るのでバスは坂から少し下がつた所にある家の近くまで来たとき止まつた。ライトバンが二〇〇メートルあると思われる所に来たときバスは止まつた、バスの運転手は後を見て後続車がいるかどうかを確認していた様子であつた、証人も後をちらつと見たが後続車がいた。バスはライトバンが坂の下の家の近くまできたときクラクシヨンを鳴らした。バスが止まつたのは一番後の石巻寄りのダンプとバスが平行位になつたときである。ライトバンはよくはわからないが、六〇キロ位の速度できたと思われる、証人は被控訴会社とは全然関係がない」という趣旨の証言をしている。原審証人及川実は<19>「バスは一時停車して対向車二台を通過させた後、一番最後のダンプカーの中間頃まで出て行つたとき約二〇〇メートル前方の坂の上の方から進行して来る一台の車を発見した、その車はバスからよくわかつたし、このことはバスの運転手も気付いたと思う、それでバスも一時停車したが、バスの停つているところにライトバンが衝突したのである。衝突する前にバスの運転手はクラクシヨンを鳴らしたが、八年も前のことなので相手がどの辺に来たときクラクシヨンを鳴らしたかは記憶がない。相手の車は時速六〇キロ位の速度で進行してきたこととブレーキの跡が全くなかつたことを記憶している。証人と被控訴会社とは全然関係がない。被害者の車を発見したときバスの後に六台位車がいた」と証言している。更にまた第一審および原審における証人遠藤伊勢治郎は第一審(第一〇回口頭弁論期日)においては<20>「(事故現場道路上において)対向車線に出て前方を確認したときのバスの右前部の位置はセンターラインから四、五十センチ右へ出た付近である。一旦停車したところ対向車が二台来たのでそれを通過させ、頂上の見えるところまで進んだ。そのときの位置がそこである。出たのは前へ二メートル位進んで、またセンターラインより四、五十センチ右へ寄つた所である。バスがそこまで進んだ際、対向車(本件ライトバン)はまだ見えなかつた。バスが一番最後のダンプカー(石巻に一番近いダンプカー)と同じ位か、それよりも少し前方に進んだ茶屋の所を対向車(本件ライトバン)が走つて来るのが見えたのでバスを停車させたのである。いつもなら私が右側の進路にはいつた時は進路を譲つてもらえるし、相手も止まつてくれると思つて停車して様子をみていたのである。しかし相手車はスピードもゆるめず進行してくるので峠の茶屋と停つていたバスの中間辺りにある、仙台に向つて右側にある一軒家のちよつと上に相手車が来たとき、クラクシヨンを鳴らして相手車に注意を与えた。その場所はバズから八〇メートル位の距離の所に来たときである。相手車のスピードは大体六〇キロ出ていたと思う。相手車は同じスピードで進んで来るので、バスを後退させようと思い後を見たが、直ぐ後に大型トラツクが来て停つていたので後退はできなかつた、そしてそのまま進んできてバスに衝突したのである。裁判所の検証の際に、私と車掌の熊谷と長沢忍の三人が待期していた際、長沢忍は腰沢明が衝突する近くなつて、ブレーキがきかないと叫んだと言つた。(事故現場には)ライトバンのスリツプ痕は全くなかつた。(事故当日)一一時頃現場に戻つて来て実地検証を終つてから小幡春之進、大場久雄とともにブレーキを踏んでみたらペクルが床についた。本件のライトバンがバスと峠の茶屋の中間位にある一軒家の民家の一寸上頃にきたとき、バスの方向指示器をあげて点滅した」という趣旨の証言をしており、かつ原審第六回、第七回の口頭弁論においても原審におけるこの証言と同趣旨の証言をしている。

第一審および原審における叙上の各証人らの証言のうち、長沢忍および渡辺勉らの前述<1>ないし<11>の如き各証言によつては前述の如く亡腰沢明がどの地点において本件バスの姿を認め、如何なる処置をしたかは全く不明で同訴外人が運転していた本件ライトバンに同乗していた長沢忍、渡辺勉らが衝突前、果して本件バスの姿を認めたかどうかも疑わしく、これを明らかにすることはできない。渡辺勉は前記<8>の如く「私がバスを発見したのは衝突する直前である」と供述しているのであるから衝突するまでは殆んど本件バスの姿を認めていなかつたことが明らかである。長沢忍は前記<4>のように「おれバスを発見したのは、下り坂か下つて来た時ひよつとバスのこつち側見えたわけである」<5>「左坂の頂上にある店屋からしばらく下つた反対側にある建物(児玉宅)の辺りで(本件バス)見付けたと証言しているのである。かかる証言によつては同訴外人が本件バスを発見したのは何処であるかが明らかでないが、仮りにバスを認めたのが児玉宅の辺りであるとするも、その地点と本件衝突地点までの間には少なくとも約五〇・九メートルの距離があるのであり、同訴外人が果してこの地点において本件バスの姿を認め、亡腰沢明が依然として六〇キロのスピードでライトバンを進行させていたとするならば急いで亡腰沢明に対し、その旨を知らせ急停車すべきことを求めるのは条理上当然である。長沢忍にして亡腰沢明にそのようなことを求めたとするならば、ライトバンが六〇キロのスピードで進行していて急停車するのには空走距離が一二メートル、制動距離が二〇メートルであることは実験則上顕著な事実であるから同ライトバンは優に急停車することができ、本件バスに衝突することは回避することができ得たのである。然るに本件においては、かかる好結果を来たすことなく、かつ、前記摘示の各証言のように事故現場には、本件ライトバンのスリツプ痕は全くなかつたことが明らかである。このような事実に徴するときは、第一審証人長沢忍は果してその証言の如くライトバンが前記児玉宅辺りに来た際、本件バスの姿を認めたかどうか疑わしく、かかる証言は信用に値しないものである。結局被上告人が第一審および原審において提出援用する証拠によつては亡腰沢明、第一審証人長沢忍、同渡辺勉らは、本件ライトバンが左坂峠にさしかかつた後、衝突するに至るまで前方注意義務を怠り本件バスが対向線上にあることを認めず、したがつて本件衝突を回避するため本件ライトバンを急停車する措置をとらなかつたことを明らかにすることはできないといわねばならないのである。これに引きかえ、前記加藤利一、佐藤勝子、遠藤伊勢治郎、熊谷育郎、小幡春之進、大場久雄、及川実らの第一審および原審における前述の如き証言等によるときは、(本件)左坂停留所付近は坂の上になつていて、西方の塩釜方面はカーブの多い下り坂であり、東方の石巻方面は、ほぼ一直線の下り坂となり約二〇〇メートルの地点で南方にカーブしているが、そのカーブの地点が本件事故現場である。すなわち、本件道路は塩釜方面から左坂停留所付近まではカーブの多い上り坂であるが、同停留所から本件事故現場に至る約二〇〇メートルの間は、ほぼ一直線の下り坂である。訴外遠藤伊勢治郎は昭和四五年七月一五日、本件バスを運転して石巻方面から本件事故現場付近にさしかかつたが、前方の道路の左側に四台の大型ダンプカーが一列になつて停車していたため、いつたん一番手前のダンプカーの後部から一〇メートルほど離れたところに停車したうえ、同四台のダンプカーの右側を通過してその前方に出ようとし、道路の中央付近まで進出させ反対の方向から進行してきた自動車二台が通過するのを待つて発進し対向車線の右側部分に進路を変更して一番手前に停車していたダンプカーの右側まで進出したとき前方約二〇〇メートルの坂の上から対向してくる亡腰沢明のライトバンを発見したので停車したが、右ライトバンがスピードをおとさず前方一一七メートルの地点まできたのでクラクシヨンを鳴らしたこと等が明らかであるということができるのである。遠藤伊勢治郎は甲第一一号証の一ないし一三、第一二号証の一ないし一五等によれば、昭和四五年七月一五日の塩釜警察署の警察官の実況見分、同年一二月一日の宮城県警察本部の警察官の実況見分において本件ライトバンを最初に発見したのは前方約五〇・九メートルである。或は前方約八四・五メートルであると供述している。遠藤伊勢治郎がかかる供述をしていても、加藤利一、佐藤勝子、熊谷育郎および及川実の第一審および原審における前述の如き証言があるかぎり、本件事故の際、本件バスの運転手遠藤伊勢治郎は本件事故発生時に事故現場付近に差しかかつた際、本件道路の左側に四台のダンプカーが一列にならんで停車していたので、一時その後に停車し、その右側を通り抜けようとしたが、二台の乗用車が対向してきたので、これをやり過し、石巻にもつとも近い最後のダンプカーと平行の位置までバスを進出させたとき約二〇〇メートル先にある左坂停留所の付近を対向して進行してくる本件ライトバンを認め一時停車してライトバンの動向をみまもつていたところ、同ライトバンは依然としてスピードをゆるめず約六〇キロのスピードで進んで来るので同ライトバンが児玉宅の近くまで来たとき、クラクシヨンを鳴らしたが、同ライトバンはスピードをゆるめず急停車の処置もとらずそのまま進行してきて、停つていた本件バスに衝突して本件事故を惹起したものと認める妨げとなるものではない。また遠藤伊勢治郎が、本件ライトバンが五〇・九メートルの地点に達したときにこれを発見したことが本件バスと本件ライトバンの衝突の原因ではない。両車が衝突したのは本件事故の発生した道路上に停車していた四台のダンプカーの一番最後のダンプカー(最も石巻に近いダンプカー)の右側に本件バスが進出した地点であることは原判決が認めて争わないところである。遠藤伊勢治郎が、本件ライトバンがどのような距離まで近づいたときにこれを発見しようと、そのこと自体は同訴外人の過失の有無を認定する基準とはならない。同訴外人は既に本件バスを一番最後の同ダンプカーの右側に進出せしめ停車しており後続車が後方にあつて後退することもできない状態にあつたところ本件ライトバンが対向して進行してきたのであり、かかる事情のもとにあつては同訴外人としてはバスを停車せしめて本件ライトバンの出方を待つ以外に方法がなかつたのであるから本件ライトバンの姿を認めてもそのまま停車をつづけ、クラクシヨンを鳴らし方向指示器を上下に点滅せしめて相手車の注意喚起につとめてきたのである。かかる場合には亡腰沢明も前方を注意し、その対向路線上に本件バスの如きものがあるときはライトバンを急停車し、本件バスとの衝突を回避すべき義務があることはいうを俟たないところであり、同訴外人が本件ライトバンを何処で認めようと、これをもつて本件事故が同訴外人の過失によるもの、または同訴外人と亡腰沢明の五分五分の過失に因るものなどとすることはできないのである。

遠藤伊勢治郎の第一審および原審における原判決摘示の如き供述の相違はただかかる相違のみをもつてその真実性を判断すべきものではなく、本件にあらわれた証拠をかれこれ綜合勘案してその真実性の有無を判断せらるべきであることはいうを俟たないところである。しかるに原判決は警察官の見分の際における遠藤伊勢治郎の供述や指示の相違のみによつて同訴外人の第一審および原審(第一、二回)における同訴外人の供述を排斥し、かつ、坂の上の左坂停留所から本件事故発生現場付近までの約二〇〇メートルは、ほぼ一直線になつており、坂の見通しのよい道路であることに徴してたやすく信用できないと判示したのである。剰え第一審証人加藤利一、第一審および原審証人佐藤勝子、原審証人及川実らは本件事故の際、単に本件バスに乗車していたにとどまり、遠藤伊勢治郎や本件事故の際本件バスの車掌をしていた第一審証人熊谷育郎等と異り上告会社に勤務していたものでもなく、したがつて上告会社とは全く利害関係を有さない者の第一審および原審における証言をすら、遠藤伊勢治郎の警察官の見分調書における供述が相違することのみをもつて信用することができないと判示し、その然る所以を全く説明することなく、したがつてこれを読むものが、その然る所以を全く理解できないのに、単に前述の如く判示してこれらの各証人の証言をも排斥した原判決の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな採証法則の違反があり、理由不備の違法があるものといわねばならない。

第二点 原判決は『前記認定の事実によれば、ライトバンを運転していた亡腰沢明に前方の交通の安全を確認しないままに前記認定の速度で進行してきた点において過失があることはいうまでもないが、被控訴バスを運転していた遠藤伊勢治郎においても、反対の方向から進行してくる車両の有無に十分に注意し、その安全であることを確認した後でなければ道路の右側部分に出てはならない注意義務があるものとみられ、これをつくしていたならば、右腰沢車との衝突を避けることができたものと認められるから、本件事故の発生については遠藤運転手にも過失があるものというべきである。』と判示している。しかし、上告人が原審において『被上告人は原審において、本件バスの運転手遠藤伊勢治郎が本件事故発生前、本件バスを本件事故の発生した本件道路の左側に駐車していた四台のダンプカーの最後尾のダンプカーの後より同道路の右側にはみ出して通行しようとする前に車掌熊谷育郎を下車せしめ交通整理をせしめなかつたことをもつて同運転手に過失があつたという趣旨の主張をしている。しかし、この点については第一審における昭和五〇年七月二二日付準備書面第二項において、本件バス運転手遠藤伊勢治郎にはそのような義務がなく、かかることをしなかつたことをもつて業務上の過失があつたものといい得ないことを詳述している。この点につき、最高裁は「対向車が自己の運転する車両の進路である道路の左側部分を通り、容易に右側に転じないような特種の場合においては、警音器を吹鳴して対向車に避譲を促すとともに、すれ違つても安全なように減速して道路左側を通行するか、一時停車して対向車の通過を待つて進行するなど臨機の措置を講ずべき注意義務がある」(昭和四一年(あ)第二六二二号同四二年三月一六日判決、判例時報四八〇号六七頁、判例タイムズ二二〇号一〇四頁)と判示している。即ち最高裁は本件の場合のように、亡腰沢明が本件事故の惹起された道路左側(松島方面より石巻方面に向つて左側)を自車を運転して石巻方向に向つて進行している際、対向車である本件バスが亡腰沢明運転のライトバンの進路である道路左側部分を通り、容易に道路右側に転じないような特種な場合には警音器を吹鳴して対向車たる上告会社の本件バスの運転手に避譲を促すのみでなく、これと同時にすれ違つても安全なように減速の上道路左端を進行するか一時停車して対向車たる本件バスの通過を待つて進行するなど臨機の措置を講ずる注意義務があると判示しているのである。

また最高裁は本件の場合と事案の内容は異なるが「交差する道路(優先道路を除く)の幅員より明らかに広い幅員の道路から交通整理の行なわれていない交差点にはいろうとする自動車運転者としては、その時点において自己が道路交通法一七条三項に違反して道路の中央から右の部分を通行していたとしても、右の交差する道路から交差点にはいろうとする車両等が交差点の入口で徐行し、かつ自車の進行を妨げないように一時停止するなどの措置に出るであろうことを信頼して交差点にはいれば足り、本件被害者のように、あえて交通法規に違反して交差点にはいり、自車の前で右折する車両のありうることまでも予想して減速徐行するなどの注意義務はない。」と判示している(昭和四五年(あ)第七一一号同年一一月一七日判決最高裁刑事判例集二四巻一二号一六二二頁)、即ち、これを本件の場合についていえば、本件バスの運転手遠藤伊勢治郎は第一審における前記準備書面において上告人の詳述するような経緯のなかで本件道路左側に駐車していた四両のダンプカーを追い抜いて仙台方向に進行するため同道路の右側に移り停車中の四両のダンプカーの最後尾のダンプカーと平行する位置まで進行した際、約二〇〇メートル前方に仙台方面から石巻方面に向つて進行してくる本件ライトバンの姿を認めたので衝突地点に本件バスを停車してライトバンの動静を注視していたのであり、しかも本件ライトバンと本件バスはともに仙台方面から石巻方面に向う本件道路の左側に対向していたのであり、同道路の右側路上(石巻に向つて)には四台の大型ダンプカーが停車していたけれども左側には車両は勿論ライトバンとバスの視野をさえぎる物は一切なかつたのである。したがつて、亡腰沢明および同人の運転するライトバンに同乗していた人々はライトバンが本件バスとの衝突地点から約二〇〇メートル仙台寄りの左坂バス停留所付近に来たときは前方注視義務を怠つていないかぎり、同ライトバンの進行路に本件バスが停留している姿を認め得なかつたということはありえなかつたのである。もし然りとするならば、本件バスの運転手遠藤伊勢治郎は、かかる場合には常にそうであるように対向車たる本件ライトバンの運転手において、ライトバンを徐行し、もしくは一時停車するなどの措置をとつてくれることを信頼することは当然であり、六〇キロという速力で減速もせず一時停止の措置もとらず、本件バスの八〇メートル近くまで進行してきたときに本件バスの警報器をならして注意を与えたが、これにすら気づかず、減速もせず、一時停車もせず、六〇キロ前後の速力で進行してきて、第一審における前述の準備書面において主張したように後退その他如何なる避譲も不可能な状態にあつた本件バスに衝突してしまつたものである。したがつて、最高裁の判決が判示するようなかかる注意義務を怠つて本件事故を惹起したのは亡腰沢明であつて、遠藤伊勢治郎ではないといわざるを得ないのである。』と主張したことは原審における昭和五二年一一月一五日付準備書面第四項一および同準備書面にもとづき陳述した旨の昭和五二年一一月一六日付口頭弁論調書の記載により明らかである。また上告人が原審において『本件衝突に至るまでのライトバンの速力は時速約六〇キロ前後であることが明らかであり、本件ライトバンが時速六〇キロで進行していて急停車するのには空走距離が一二メートルで制動距離が二〇メートルであることは裁判所にも顕著な事実であるから、仮りに遠藤伊勢治郎の証言のように同人が本件ライトバンの姿を認めた地点が衝突地点から仙台方向に二〇〇メートル先でなく、八〇メートル先にすぎなかつたとしても、また亡腰沢明が、その地点で本件バスを認めたとするも亡腰沢明において直ちに急停車の措置に出でれば、その地点から三二メートルに達した地点においてライトバンは停車し、本件バスに衝突するようなことは全くなかつたのである。しかるに本件においては、亡腰沢明のライトバンの制動距離の跡は全くなかつたのであるから、亡腰沢明は本件衝突の直前においては全く前方注視義務を怠り、本件バスが本件衝突場所に停車していたことに気づかなかつたため、同バスを発見したときはブレーキを踏むいとまもなかつたため、ブレーキを踏まなかつたので、制動距離が印されてなかつたのか、本件バスの停車していることを認めて急停車しようとしたが、ブレーキに故障があつたため制動ができず、そのためスリツプ痕が印されてなかつたものといわねばならないのである。何れにしても本件事故は亡腰沢明の前方注視義務違反が同人の運転していたライトバンのブレーキの故障に起因するものというべく、本件バスの運転手である遠藤伊勢治郎の業務上の過失に起因するものということはできないのである。』と主張したことも同準備書面第四項二、原審における同口頭弁論調書の記載により明らかなところである。しかも原審における上告人のかかる主張事実は何れも判決に影響を及ぼすべき重要な事実である。然るに原判決は原審における上告人のこれらの主張事実につき全く判断を遺脱して、単に前述のように判示した原判決は審理不尽、理由不備の違法があるものといわねばならない。

第三点 上告人が原審において『自動車損害賠償保障法第三条は、そのただし書において「自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと」「被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたこと」並びに「自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたこと」の三つの要件を証明したときはこの限りでないとして運行供用者責任を免れる旨を規定している。即ちこのただし書の規定は運行供用者がこの三つの要件を主張、立証しなければ、運行供用者責任を問われるということを意味するものである。しからば本件においては運行供用者たる上告人および本件バスの運転者たる遠藤伊勢治郎が、本件バスの運行に関して注意義務を怠つた事実があるかどうかというに、第一審における昭和五〇年七月二二日付準備書面および昭和五二年一一月一五日付準備書面において上告人の主張するところにより明らかなように本件バスの運転者たる遠藤伊勢治郎は本件バスの運行に関して注意を怠つた事実のないことが明らかであり、かつ昭和五〇年七月二二日付準備書面および昭和五二年一一月一五日付準備書面において上告人の主張するところにより明らかなように、上告人にも本件バスの運行に関し注意を怠らなかつたことが明らかであり、その事実は上告人の立証により明らかである。また本件事故は被害者たる亡腰沢明の過失に起因するものであり、このことも第一審における昭和五〇年七月二二日付準備書面および昭和五二年一一月一五日付準備書面における上告人の主張および本件における上告人の立証により明らかである。更にまた本件バスには構造上の欠陥または機能の障害のなかつたことも上告人の本件における主張、立証により明らかであるということができるのである。よつて上告人は本件事故につき運行供用者責任を負わないものである。』という趣旨の主張をしたことは原審における昭和五二年一一月一五日付準備書面第四項、四および原審における昭和五二年一一月一六日付口頭弁論調書により明らかである。然るに原判決は上告人の原審におけるかかる主張に対し何らの判断をも加えず、原判決における上告人敗訴部分の金額の支払義務あることを確定し、被上告人に対し、その支払を命じた。しかし、上告人の原審におけるかかる主張事実は原審における判断にも影響を及ぼすものと解されるから、かかる主張事実に対する判断を遺脱した原判決は重要な争点についての判断を遺脱し理由不備の違法があるものといわねばならない。

以上

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